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1998年2月7日 1998年2月10日
1998年2月14日
1998年2月15日 1998年2月17日
1998年2月20日
1998年2月22日 1998年2月24日
1998年2月24日(火) コミィ、開幕予告先発!!\(^o^)/
何と昨日早くも近藤監督が4月4日の開幕戦の先発投手にコミィを指名しました。\(^o^)/
「日本一早い予告先発?もっと早くてもいいくらいだよ。」とは監督のコメント。
それはそうですよね、予告先発でなくても開幕投手はコミィ以外考えられないのですから。
先日の『プロ野球ニュース』でも、「開幕投手というのはその年12人しかいない、とても名誉なことだから、
是非そこで投げたいと思うのは当然のこと」と事実上「開幕投手宣言」していたコミィ。(*^^*)
でも、早くから決めて、その日に向かって調整した方が結果的にもいいような気がします。
開幕戦を観に大阪ドームまでの遠征を決めている私も、一層決意が固まりました。
ところで、今日は新しい電話機を買いました。
今まで使っていた電話機がすっかり古くなってしまい、親機のアンテナは折れるし、子機は使えなくなって
しまうし、という状態で決断しました。
それにもうすぐ引っ越すのでいい機会ですし。
それにしても、今の電話機って随分安くなっているのですね〜。
今まで使っていた電話機の三分の一くらいの値段で子機2台付の電話機が買えてしまいました。
1998年2月22日(日) 長野オリンピック閉幕
長野オリンピックが終わりました。
オリンピックは大好きですが、あまり冬のスポーツに興味が無い私なので、結局日本選手がメダルを
とった競技しか観なかったような気がします。
あ、さすがにフィギュア・スケートは少し観ました。
実は開会式はあまり熱心にみなかったので、閉会式だけでもと思って観ましたが、何故司会が萩本欽一
だったのでしょう。
衣装も「紅白歌合戦の応援コーナーでは無いのだから」と思わず突っ込みを入れてしまいました。
花火は綺麗でしたし(事前に近隣の市町村といろいろあったらしいのは残念ですが)、最後に『WA に
なって踊ろう』で選手も一緒になって踊っていた姿は楽しかったです。
しかしオリンピックが終わって、「いよいよ野球のシーズンだあっ!!」という気分です。
早速今日はジャイアンツの紅白戦のテレビ中継もありましたし。
F1開幕ももうすぐです。
1998年2月20日(金) コミィのインタビュー
今日は『プロ野球ニュース』でコミィの独占インタビューを流してくれました。\(^o^)/
「CMのあとはロッテの特集です」と言われても、まさかコミィの特集だと思わなかったので録画しそびれた
のが悔やまれます。
「小宮山投手のインタビューです」と言ってくれなければ。>福井アナ
開幕戦は大阪ドームまで遠征して観戦する予定なので、2年連続コミィの開幕完封勝利を観られるのを
楽しみにしています。
ところで、ここのところブレーカーが落ちないようにガムテープで止める、という荒療治をして生活している
のですが、それだと暖房が止まってしまうだけで済んでいたのに、今日はしっかりガムテープの下で
ブレーカーが落ちました。(悔)
まったく、我が家の電気は何とかならないのでしょうか。
やはり、引っ越しまで我慢しなければならないのか・・・。
ところで、先週の土曜日にした火傷は少しもよくならないまま、1週間経とうとしています。
何だか組織破壊が深そうな嫌〜な感じになってきました。(涙)
そうそう、長野オリンピックもいよいよ終盤ですね。
複合のメダルがとれなかったのは残念でしたが、それにしても次々日本に不利なルール改正(改悪?)
が行われても黙って従っていなければならないのは悔しいです。
そういえばオリンピック中継は、中継局と実況アナの所属が必ずしも一致していないのが面白いですね。
今日も私の好きなNHKの刈屋アナウンサーがTBSで生中継をしていました。
オリンピックが終われば、いよいよオープン戦も始まって、もっとスポーツニュースでも野球の話題を流して
くれることでしょう。
1998年2月17日(火) 日本100個目の金メダル
何だか今日は午後の一瞬、突然やたらと忙しくなり、フロア内を走り回ったり、あちこちに電話をしたり、
パソコンのキーをガンガン叩いてメールやら何やらを打ったり・・・。
一体、あの数時間は何だったのでしょう。(苦笑)
そんな中、何故かどこかで誰かが観ているオリンピック。
スキー団体戦の金メダルのニュースが届いて来て、職場も盛り上がりました。\(^o^)/
帰宅してからも、テレビも新聞も金メダルのニュースばかり。
選手たちもあちこちのテレビ局に出演して大変ですね、まあ東京みたいな移動はないでしょうが。
それにしても、日本の100個目の金メダルとしては最高の形になったような気がします。
そうそう、テレビを観ていて思いましたが、観客席の日の丸の多さと、表彰式で「君が代」を歌う声が
大きいところが、さすが「日本でのオリンピック」ですね。
一方、走り回っている内に足の火傷が痛くなって来ました。(涙)
そういえば「激しい動きはしないように」と言われていたのに〜、と思いましたが、帰りにいつものお医者
さまに寄って処置して頂いたので、これで土曜日に病院に行かなくていいことになりました。(^^)
1998年2月15日(日) 火傷悪化(涙)
実は来月引っ越しをするので、今日はその業者さんに見積もりに来てもらいました。
なるべく自分で荷造りをしたくないので、いろいろとお願いしましたが、今のところに引っ越して来た時も、
自宅の方の引っ越しもお願いした業者さんなので、話はかなりスムーズに進みました。
とは言っても、前回の引っ越しの後40度近い熱を出して寝込んだ経験のある私としては、やはり気が重い
部分もかなりあるのでした。
ところで昨日火傷した左足ですが、ますます水膨れが大きくなってきました。
一応ガーゼなどで防御して外出したのですが、帰って来てみたら状態はよくなるどころか、膨れ方も
大きくなり、色も変になって来たので、仕方なくタクシーで救急病院へ。(涙)
水膨れをつぶして消毒して薬をたっぷりぬったガーゼをあてて処置は終了。
毎日自分で消毒と薬を塗ったガーゼをあてるように指示をされ、また土曜日に病院に行くことになりまし
た。(涙)
低温での火傷の場合、徐々に組織が破壊されるので傷の下の組織がどの程度損傷しているのか、わか
りにくいのだそうです。
ただ、色から見て多分それほどひどくは無いでしょう、と言われてまずは一安心しました。
とりあえず、暖めないことと、スポーツなど激しい動きをしないことに注意すれば、普通の生活には支障は
ないそうです。
それにしても、思わぬところで思わぬ災難に出合ってしまったものです。(泣く)
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1998年2月14日(土) 低温火傷(涙)
左足首の上をどうやら低温火傷してしまったようです。(涙)
寝ている時に小さいあんか(←言い方が古い?)を使っているのですが、それのせいでしょうか。
起きた時には気がつかなくて、半分寝ぼけて何だか左足に触ると痛いなぁなどと思いながらニフティの
ログなどを眺めていたのですが、足を見てみてびっくり。
ちょうど直径2〜3センチの大きさに水膨れが半分つぶれたようになって、盛り上がっていました。
これでは痛いはずですよね。(涙)
一応薬を塗って触らないようにしていますが、これではお風呂にも入れません。
今まで一度もこんなことは無かったのですが、よほど昨夜は熟睡していたのでしょうか。
1998年2月10日(火) 落ちるブレーカー(苦笑)
冬の初めに壊れていた暖房が直ったと思ったのも束の間、やはり時々止まってしまいます。
その都度何とか直していたのですが、そのせいか昨日の夜パソコンに向かっていたら突然プレーカーが
落ちてしまいました。(涙)
やたらと電気製品が多い我が家なので、さすがにその大半を一度に使うとブレーカーが落ちるのはわかっ
ていましたが、今までと同じものしか使っていないのに突然プツッと真っ暗になったのでびっくり。
懐中電灯を片手にブレーカーを上げ、ビデオやFAXの時刻設定を全部やり直し。
これが面倒で嫌なのですよね〜。
ところが、今朝起きたら何とまたブレーカーが落ちていたのです。(驚)
眠っている間にブレーカーが落ちるなんてもう最悪です。
いつもと同じくパソコンの電源を入れたまま寝ていたので真っ青。
ビデオやFAXの時刻設定も面倒ですが、何と言ってもパソコンが大切ですからね〜。
何とかパソコンが無事起動する事を確認してから出勤しましたが、仕事中にこっそり留守電をきこうと
したら何故か聞けず、しかも「留守電設定し忘れたかな」と思っていくら鳴らしても電話が応答しない
ので、設定も出来ませんでした。
家に帰って来てみたら、やっぱり落ちてました。>ブレーカー
またまたあちこちの時刻設定をしてまわる羽目となりましたが、今回はパソコンの電源は切ってあった
ので、まあそこは安心。
と思ったら、また落ちたのでした。>ブレーカー
どうやら暖房をつけると駄目なようです。
かと言って暖房をつけなければ寒いし、本当に困っているところです。
1998年2月7日(土) 長野オリンピック始まる
長野オリンピックが始まりました。
開会式の様子を少しだけ見ましたが、土俵入をする曙の寒そうだったこと!!
あれを見たら「代わってもらってよかった」と貴乃花も思ったのではないかと思ってしまいました。
選手入場の時に力士が子供たちと一緒に先導する、というのは演出としては「日本らしさ」を出したもの
として良かったのかも知れませんが、大相撲ファンとしては何だか複雑な心境でした。
それにしても昔は日本選手団の入場行進というのは「一糸乱れぬ」という感じで、アメリカなどの選手
団のバラバラとした行進を見て何だか不思議に思っていたものですが、最近は日本選手も自由に手を
振ったりして、随分かわりましたね。
巫女風の伊藤みどりさんが聖火を点火、というのはいかにも浅利慶太氏らしい演出だったと思いました。
荻原選手の選手宣誓はなかなか凛々しくて良かったです。
1998年2月5日(木) プロストとセナ
今日の読売新聞の夕刊に、アラン・プロストがセナとの思い出を語った記事が載っていました。
「プロフェッサー」と言われたプロスト、「天才」と言われたセナ、93年のワールド・チャンピオンを花道に
引退したプロスト、その彼に「Alan, I miss you・・・」と無線で語りかけた2日後に事故死したセナ。
現役時代はその激しいライバルぶりに二人の確執なども取り沙汰されたこともありましたが、本当の
二人はお互いの力を心から認め合っていたのだと思います。
だからこそ、今日の記事のインタビューで、セナの事を「彼はあなたにとって何だったのか?」と問われた
プロストは「私の人生の大切な一部だ」と答えたのでしょう。
「彼と二人で戦ったレースは、間違いなく最高レベルのもの。それを誇りに思う。」というプロスト。
何故今日の新聞にこの記事が載ったのかはわかりません。
ただ最近のF1関係雑誌にはセナの事故に関してウィリアムス・チームに無罪判決が下ったという記事
が一斉に載っていて、私はそこの部分をとても読む気にはなれませんでした。
裁判なんかしてもセナは帰ってこない、もう、サーキットであの走りを観ることは出来ないのです。
それならもっと違う形でセナに「生きていて」欲しい。
そんな思いを持っている私は、今日のプロストの記事を読んで思わず涙が出てしまいました。
少なくともプロストは、セナと共に戦い、セナを相手に戦い、そして今も自分の人生の大切な一部だと
思っている、そこにはセナが「生きて」いるのです。
プロストは「セナ財団」のアドバイザーでもあります。
同時に、確かセナの事故後に出来たセナを思う「ファンクラブ」のような組織のフランスの代表でもあった
はずです。
その話があったとき、プロストは「セナ・ファンには嫌われていると思っていたからとてもうれしい」と
いうようなコメントと共に喜んで引き受けた、という記事を読んだ記憶があります。
未だにF1を観る時、心のどこかに痛みを感じずにはいられない私ですが、今日の記事を読んで今まで
あまり好きではなかったプロストに対する見方が少し変わったような気がします。
1998年2月4日(水) アクセスカウンタ8,000突破\(^o^)/
昨日、このホームページのアクセス・カウンタが8,000を越えました。
1年弱で8,000ですから、決して多くは無いのでしょうし、もっとすごい数字を記録しているホームページ
は沢山ありますが、私にとってはとても大切な数字です。
ホームページを作り始めてから1年近く。 公開してから11か月弱。
ほとんど毎日のように更新して今日まできました。
それを見てくださった方たち、本当にありがとうございました。m(_ _)m
これからも一人でも多くの方に見て頂けるページになるように、頑張って更新していこうと思っています。
1998年2月2日(月) 月曜の出勤風景(笑)
またまた月曜日が来てしまいました。
サラリーマン、OLにとってやっぱり「月曜日」というのは、多少気が重いものですよね。
本当は「さあ、今週も始まるぞー」と爽やかに出勤できればいいのでしょうが。(苦笑)
今日から、久々にウォークマンを聴きながら出勤してみました。
少しでも気分転換したい、と思ったのですが何だか曲の中途半端なところで会社に着いてしまうと後が
気になって仕方がありません。
そういえば、昔勤めていた会社でエレベーターの中までウォークマンを聴いたまま乗っている同期の子が
いましたが、あれはみっとも無かったなぁ、とふと思い出してしまいました。
最近気に入っている曲を何曲かテープに入れてみたので、しばらくはこれを聴きながら出勤してみようと
思っています。